歴史

フェンシングの歴史は、武器とその変遷に深い関係がある。ギリシャ人・ローマ人は刀剣を武器として完成し、フェンシングを戦闘の一様式として訓練していた。当時の剣は長大で重く、使用法は切り専門であった。一六世紀に入って火薬が発達し、身軽な戦闘様式に移り、武器も軽くなり、多くの剣士が生命・名誉を守るため剣の操法の練磨に励み、フェンシングに流派的なものがみられるようになった。十八世紀には、上流社会の教養の一つとして、実戦的フェンシングとともに技術的フェンシングが行われるようになった。その結果、軽い武器が使われるようになり、勝負の繊細さと剣先の使用が重視され、突きが複雑になった。しかし、真剣を使用していたため、流血事故が頻発し、数多くの制約が適用された。1750年(延享5年).ワ・ボェセルが金網のマスクを発明し、剣先にボタンを付けるようにしたことから、事故を防止できるようになり、今日のスポーツフェンシングが誕生した。1896年(明治29年)第一回近代オリンピックアテネ(ギリシャ)大会が開催され男子のフルーレ・サーブル個人が行われた。以後、オリンピックの主要種目として採用されている。1960年第17回オリンピックローマ(イタリア)大会からフルーレ・エペ・サーブルの全種目が行われるようになった。我が国のフェンシングは、昭和10年、フランス留学から帰国した岩倉具清が同好者を集め、日本フェンシングクラブを作ったのが始まりである。同11年日本フェンシング協会を設立し、同13年日本体育協会に同14年国際フェンシング連盟に加盟した。しかし、太平洋戦争の拡大にともない外来スポーツとして排除され、同18年に中止された。戦後、昭和22年、協会を再発足させ、同24年に日本体育協会に加盟し、同35年第17回オリンピックローマ大会に初参加した。